最初の5日間は、写真や動画を見て泣き暮らした。
やがて涙が枯れた。
野良時代は堂々としてケンカ好きなボス猫。
家猫になってもあんなに元気で食欲旺盛だったソーキチが、
最後はご飯も食べられず、足はヨロヨロ、トイレをしたあとはヘタっていた。
本当に限界だったんだ。
そこまで頑張ったんだ。
精いっぱい生きたんだ。
今はきっと天国で元気なんだ。
そう思ったら、少しほっとした。
ソーキチは教えてくれた。
彼はただ、食べて寝て遊んで甘えるだけの猫生で、
最後は世話もいっぱい必要としていたけど、
でも私には、いてくれるだけで十分だった。
甘えてくれるだけで十分だった。
寝たきりでもいいから、いつまでもそばにいてほしかった。
ただそばに「いる」だけでいい。
そんな愛があることを教えてくれたソーキチ。
死を恐れていた私に、
死は決して怖いものではないということ、
だけどときにつらく、でも美しく尊いものだと
その死にざまで教えてくれたソーキチ。
愛しているよ。
いつかまた会える。
私たちが逝く時が来たら、虹の橋まで迎えに来てくれる。
そう約束した。
だから私は、その日まで精いっぱい生きる。
めいっぱい愛して、愛を受け入れて
役割を果たして 天寿をまっとうしよう。
ソーキチがそうだったように。