同じタイトルの映画がありました。一時期すごくはまっていて、ビデオも持っています。
ソーキチの自宅療養が始まって5日目です。正直なところ、この5日間はヘトヘトでした。
あの発作体験が私のトラウマになりつつあるようで(なったと言い切れないところが、中途半端に心理学を学んだものの限界です)、二度とあんなことがないように、かなり神経質にソーキチを監視していたためです。
インシュリンの量が多いから低血糖になるのですが、一方で今の量でないと高血糖を下げることができないそうです。ドクターにしてみたら、むしろ量を増やしたいほどらしいですが、今の量でも血糖値が測定不能なくらい下がってしまうので、ギリギリ限界のところ。
私のほうは、神経をすり減らして食欲減退。集中力が散漫になり、ソーキチのエサを間違えたり、食べるつもりで冷蔵庫から出した明太子をなぜかゴミ箱に捨ててしまったり、挙句の果てはお風呂の空焚き。
そんな私を心配して、夫が言いました。
「医者は減らすなって言うけど、インシュリンの量を減らそうか。そうすれば低血糖も今ほど心配しなくてよくなるよ。ソーキチも大事だけど、自分のことも大事にしなさい。減らしたことでソーキチが治らなくても俺はそこそっこを責めないよ」
さらに、10年来の付き合いの友人に愚痴のメールを送ったら、こんな返事をもらいました。
「先のことは考えてない、今だけを生きている猫にとっての幸せを考えるのが一番だと思うよ」
ソーキチが病気になる直前、心理学に詳しい友人と話をすることがありました。テーマは「先のことを考えすぎる自分」。タイミングよすぎる。
私はいつもいつも先のことばかり心配し、悩み、不安になり、なるべくなるべく事を穏便に運ぼうとする傾向があります。
それは一方では「慎重」という意味で、決して悪いことではありません。この慎重な性格のおかげで難を逃れたこともあるのかもしれません(実感はないですが)。
しかし、あまりにも先を気にしすぎると、どうしても“今”が疎かになってしまいます。過度の心配は心身を病む原因にもなります。
友人からのメッセージでふと思いました。これはもしかしたら、神さまからの(いるとしたら)言葉じゃないかと。
辛い出来事には必ず学びがあると信じてきました。そして動物は学びのメッセージの運び屋ではないかと思うこともあります。だからきっと今回のソーキチの病気にも、私に伝えたい「何か」があるはずです。例えばこんな風な。
「あなたももう少し猫を見習って、今を生きるように心がけなさい。それを教えるためにソーキチはあなたの元へ来たのですよ」。
ソーキチの闘病に付き合うとともに、“今を生きる”ことを意識してみようと思います。
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