桜の花の咲くころに。。。

桜が咲く時期に生まれました。愛猫のこと、旅行記、その他いろいろ記録。 ※別のブログから引っ越ししたので、リンク先が正確でない過去記事がありますがご了承ください。

カテゴリ:ペット > いつかまた会う日まで


昨日はソーキチの2回目の月命日。
いつもよりちょっとだけ長く遺骨と語らいました。
だからでしょうか、夢にソーキチが出てきました。


生前はソーキチの夢をよくみました。たいていは私の腕から逃げ出す夢(苦笑)。
でも、亡くなってからはほとんど現れなかったので、さっさと成仏したんだなと思っていました。


さて、昨日の夢。
久しぶりに出てきてくれたのは嬉しいんですが……


なんと、亡くなって土に埋めたはずのソーキチがモコモコと這い出て生き返る話。
よみがえったソーキチは、一応、生前どおりの顔なんだけど、なんとなく雰囲気が不気味。

土から出てきたソーキチは、トコトコと(のそのそ、かな)私に向かってきます。
私はうれしくて、両手を広げて「おいで、ソーキチ!」
(ソーキチは猫のくせに呼ぶと来るヤツだったのです)

でも、それを見ていたダンナに、
「やめろ、ソーキチはもうゾンビなんだ!」
と止められます。

そして、見知らぬ誰かがソーキチを捕まえて、再び土に返しました。


しかし、ソーキチは再びよみがえり、私の方へ向かって歩き、私はダンナに止められ、また埋められ……以下、無限ループ。


どうやら私のもとへ来たいらしい。私に抱っこされるまで、埋められてはよみがえるを繰り返すのかもしれない。

そう思った私は、夫の忠告を無視してとうとう、「おいで、ソーキチ!」と迎え入れます。


ソーキチは私の肩の上に乗り(生前は肩に乗るなんてことなかったけど)、クンクンと私のにおいをかいで、スリスリと顔をすり寄せ、納得したようにピョンと飛び降りました。


そして、バスの中を猛烈な勢いで走り回り(なぜか私たちはバスに乗っていた) 、急ブレーキがかかった拍子に壁に強く打ちつけられ、そのまま息絶えてしまいました。


土に埋められるソーキチ。

納得したんだから、もう生き返ることはないだろう。


そう思って安心したのもつかのま、ソーキチが埋められた場所の盛り土が、またしてもモソモソと動き出し……


……というところで目が覚めました。


夢の中でもいいからソーキチに会いたいと願っていたこの2カ月。


でも、いくら愛してやまないソーキチでも、ゾンビ姿はちょっとなあ・・・・・・。


「もうあきらめなよ。ゾンビの俺なんてイヤでしょ。最後は本当に身体が辛かったけど、今は虹の橋公園で昔みたいに走り回ってるよ。いつかまたここで会おうぜ」


会いたい会いたいと嘆く私に、ソーキチがそう言っていたのかもしれません。


もっとも、現実世界のソーキチはお骨になったので、ゾンビになるような心配はないですね。


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「人間、喰らってやる~~!!」

昨日はソーキチの初めての月命日。

なのに私は、友人とランチの約束を入れてしまいました

10日が月命日だと思い込んでいたんです。さすが、記念日や誕生日にうといそこそっこ

(興味のある方は、ここここここの記事をどうぞ)

 


午前中にいつもより豪華な花を買って遺骨の横に飾り、 「出かけちゃっうけどごめんね。行ってくるね。お留守番よろしく」と、生前と同じように声をかけて出かけました。

 


月命日の5日ほど前、素敵なプレゼントが届きました。

 

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送り状に「フォトフレーム」と書いてあったのですが、開けてびっくり。まさか、すでにソーキチの姿が入っているなんて!

 

OrangeCafeさんからいただきました。(OrangCafeさんとのつながりはこちらこちらこちら


久しぶりに涙が出ました。水墨画がといいこのフォトフレームといい、たくさんの愛をいただいて、ソーキチは幸せ者(猫)です。


ちなみに、OrangeCafeさんは素敵なドームベッドを手作りされています。実はこのベッド、ものすごく欲しかったんです。でも、ベッドが快適すぎるとソーキチがお布団の中に入ってこなくなりそうで、とうとう注文できませんでした。


そして、最後までソーキチのお守りになっていたイフは、いまでは私が身に付けています。


 

最近では泣くことも少なくなってきました。ソーキチがかたわらにいない寂しさにも慣れてきました。

 

毎日のように若い頃の写真や動画は眺めていますが、最後の数ヶ月は本当に体が辛そうだったので、いまはあの頃のように元気いっぱい走り回っているのだろうと思うと、ああ、あのタイミングで逝けてよかったんだなと、自然と笑みがこぼれるようになりました。

 

夫がこんな風に言っていました。

 

変わりないように思える日々でも同じ日は一日たりともないように、ソーキチと過ごした日々は毎日がその時しか会えないソーキチだった。そしてその終わりを迎える瞬間まで常に新しいソーキチであり続けた。今でさえソーキチは新しい世界で新しいソーキチでありつづけるだろうね。

 

古い肉体を脱ぎ捨てて、新しいソーキチになったソーキチ。虹の橋のたもとのお花畑で、野良時代の仲間たちとはしゃぎながら、私たちがそこへたどり着く日を待っていてくれるのでしょう。


この1か月に、こんな本も




読んでみました。



哀しみが思い出に変わりつつある月命日でした。

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↑イフを身に着けたソーキチ。


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元気だった若いころ。


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リラックスしすぎ?

野良の自由を奪って家猫にしてしまったと思ってたけど、
この写真を見ると、それなりに安らいだ日々を送ってくれていたのかな。

ソーキチが旅立って10日たった。


最初の5日間は、写真や動画を見て泣き暮らした。

やがて涙が枯れた。

野良時代は堂々としてケンカ好きなボス猫。

家猫になってもあんなに元気で食欲旺盛だったソーキチが、

最後はご飯も食べられず、足はヨロヨロ、トイレをしたあとはヘタっていた。


本当に限界だったんだ。

そこまで頑張ったんだ。

精いっぱい生きたんだ。

今はきっと天国で元気なんだ。


そう思ったら、少しほっとした。


ソーキチは教えてくれた。

彼はただ、食べて寝て遊んで甘えるだけの猫生で、

最後は世話もいっぱい必要としていたけど、

でも私には、いてくれるだけで十分だった。

甘えてくれるだけで十分だった。

寝たきりでもいいから、いつまでもそばにいてほしかった。


ただそばに「いる」だけでいい。

そんな愛があることを教えてくれたソーキチ。


死を恐れていた私に、

死は決して怖いものではないということ、

だけどときにつらく、でも美しく尊いものだと

その死にざまで教えてくれたソーキチ。


愛しているよ。


いつかまた会える。

私たちが逝く時が来たら、虹の橋まで迎えに来てくれる。

そう約束した。

だから私は、その日まで精いっぱい生きる。

めいっぱい愛して、愛を受け入れて

役割を果たして 天寿をまっとうしよう。

ソーキチがそうだったように。




ソーキチが旅立った際は、お悔やみのメッセージをたくさんいただきました。ありがとうございました。

このたび、ソーキチが水墨画になって我が家に帰ってきました。


この画を描いてくださった方は、ペット専門の水墨画家さんで、なんとお名前が「ソーキチ」さん。


このブログを見つけて訪ねてくださり、同じ名前で、しかも水墨画と同じ黒白の猫がいることに驚き、「ソーキチの書画壹體」のモデルとして描いてくださいました(そのときのコメントはこちら

ブログに「ソーキチ」という名前でコメントが来たときは、本当にびっくりしました。 え? 猫からコメント? そんなことありうる?(笑)


この画は昨年7月に描かれたもので、ソーキチが亡くなった際に譲ってもらえないかお願いしたところ、


「うちのソーキチ画も、毎日毛づくろいをしながらこちらを見ていますよ」


というあたたかいメッセージをいただき、ソーキチがソーキチさんから大切にされているのがわかって、思わず泣いてしまいました。


墨と筆で描かれた動物は素晴らしいです。全体的に柔らかいタッチになっており、特に毛並みがふわっとしていて、思わず手を伸ばして、なでたくなりました。写真ではこの柔らかさは出ないだろうなあと思いました。


遺影にもなったソーキチ画は、今でもソーキチ画伯のブログやチラシで活躍してくれています。こういう形でソーキチが生き続けてくれていると思うと、なんだかとても救われたような気持になります。


このご縁に感謝します。


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ソーキチさんのサイトはこちら。

ソーキチの書画壹體

ソーキチとペット水墨画たち!


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